父子家庭でも生きる (^_^)

 ~重度知的障害の一人息子との日々 そして親の介護~

005【息子の紹介blog③】特別支援学校入学

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 こーじ&ふーじ

みなさんこんにちは。こーじです。

今日も息子ふーじの紹介です。

(3回目になります。)

 

今日は、特別支援学校入学の時の様子や

どんな過ごし方をしてきたのかを

お話ししたいと思います。

 

【特別支援学校入学】

平成20年4月、息子は市立の特別支援学校に

入学しました。

小学部、中学部、高等部までの一貫校。

親も子も、何もかも初めてでした。

 

息子の入学式の晴れ舞台に、

私は同席していませんでした。。。

仕事のせいではないのですが、

この頃から、嫁さんと価値観が合わなくなり

私から喧嘩ばかりする日々となって、

全てを嫁さんに任せていました。

今思うと、バカで駄目な父親でした。

(その後に、私は人生で後悔することに。)

 

新1年生は全部で3クラスでした。

 

1クラス目が息子の所属するクラス。

発語が難しい児童さんが多く、

どの親御さんも、たくさん苦労している

のが分かりました。

 

2クラス目は発語・会話ができる児童さん。

 

3クラス目は肢体不自由の児童さん。

 

学校はスクールバスを運行していて、

当時住んでいた勤務先の宿舎から一番近いバス停で

送迎する毎日でした。

(全て嫁さんがやってくれました。)

 

給食もあり、普通の小学校と変わらぬ雰囲気。

一人で落ちつける部屋、遊具がたくさんある部屋など

校内は広く、色んな部屋がありました。

基本は、同じクラスの児童さんは、

同じ教室内で机を並べて授業を受けたり、

時には個別学習として、パーテイションで仕切ったり

体育館や外の運動場での活動もありました。

 

個別指導計画を作成して、学期ごとに

振り返りや、課題などを親御さんと話し合ったり

児童さんによっては、医療機関との調整など

先生方も親身になって、それぞれの児童さんに

合わせた指導をしてくれました。

 

息子のふーじは、なぜか男の先生に

慣れていました。(笑)

 

息子はこの頃は、頻繁にてんかん症状が起こり、

特に、毎日、給食後に昼寝をしていたのですが

目が覚めたときに、ほぼ発作が出ていました。

医療機関に通院して、毎日服薬していたのですが、

当時はまだ薬の種類や分量が見合っていませんでした。

 

てんかん医療機関(小児科)には、

頻繁に嫁さんが行ってくれていました。

そのお陰があって、徐々に発作が出なくなって

少しずつ安定してきました。

 

息子の授業内容は、例えば、

小さな色のついたボール(など)を

色ごとに分けて箱に入れる、とか

紐に五円玉のような輪を通していく、とか

目線と手の動きを合わせることがねらいです。

息子は、言葉は話せないうえに、

多動が多く見られていたので、

少しずつ、休憩をはさみながら、こういった

授業を受けていきました。

 

その後、元気に成長していきました。

特別支援学校に通う児童さんは、

ハンディキャップの内容も、持病も

みんな違います。

個々の能力をどうやって引き出して

それを活かしていくか。

先生方は必死に考えてくださいました。

 

すぐにできることであっても、

息子にとっては、難しかったり、嫌だったり、

どうしたら良いか分からなかったり。

 

一年後に、『できた~♪』というくらい

ゆっくりとしたペースで成長していくので

焦らずにいきましょう。

と、先生方から親御さんに対して

よくアドバイスを受けていました。

 

ゆっくりとしたスピードで日々過ごしていました。

 

そして、息子が小学部3年になった11月に

息子も私も人生を変えてしまうほど重大な

ことが起こってしまいました。

 

嫁さんが亡くなってしまったのです。。。

 

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今日はここまでのお話しです。

いつもより短い文章になってしましましたが (^-^;)

 

私のブログを見て、感じたこと、思ったことが

ありましたら、コメントよろしくお願いします。

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 こーじ

 

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